太宰治『人間失格』 境界性人格障害とは

太宰治『人間失格』 境界性人格障害とは
 蜷川実花監督で小栗旬や二階堂ふみ、藤原竜也、高良健吾、成田凌、千葉雄大、瀬戸康史など大物俳優が勢揃いの映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』が2019年9月13日に公開ということで、太宰治『人間失格』が再度注目を集めています。
『人間失格』は、戦後の売り上げが新潮文庫版だけでも累計発行部数670万部を突破しており、夏目漱石の『こころ』と何十年にもわたり累計部数を争っているとされています。(wikipediaより)
さて、太宰治は数々の名作を残し、39歳の時に命を絶った天才的作家ですが、背景に境界性人格障害(境界性パーソナリティ障害:BPD)があったと言われています。そしてこの疾患の特徴は代表作である『人間失格』にも表れていると言うことです。
今回はこの境界性人格障害について概説し、研究も合わせて紹介したいと思います。
 

 診断・概念

  境界性人格障害(境界性パーソナリティ障害:BPD)は、以下の9項目中5項目以上を長期に認める際に診断されます。
 
①現実に、または想像の中で見捨てられることを回避するために必死で努力する
②不安定で激しい人間関係をもち、相手の理想化と低評価との間を揺れ動く
③不安定な自己像や自己感覚(同一性障害)
④自らに害を及ぼしうるような衝動性で少なくとも2つの領域にわたるもの(浪費、安全ではない性行為、過食、向こう見ずな運転)
⑤反復する自殺の脅し、ほのめかし、自傷、自殺行動
⑥顕著な気分反応性による感情不安定性
⑦慢性的な空虚感
⑧不適切で激しい怒り、または怒りの制御ができない
⑨ストレスによって引き起こされる一時的な妄想性思考または重度の解離症状
(米国精神医学会の診断マニュアル(DSM-5)より)
 
 BPDは、米国では有病率は一般人口の約2%とされています。その約7割が女性患者で、日本でも同程度と考えられています。
治療により8割以上が中等度以上の改善を示しており、うつ病患者とほぼ同等というデータがあります。
自殺率は3~10%と、調査によって幅があり、一概には言えません。
 
 「自分に自信がない」「生き方の方向性が定まらない」「他人と自分の気持ちがすれ違う」「支えになる仲間がいない」などが根本にあり、
 
①落ち込みや不安、焦り、虚無感
②傷つきやすく、心のバランスがうまくとれない
③周囲とのトラブルでショックを受けやすい
④他人から不当に責められていると感じ、過剰な反応、怒り、危険な行動をとる
⑤周囲の敬遠や反発
⑥孤立や後悔
①落ち込みや不安、焦り、虚無感
・・・ 
という悪循環を形成することがあります。
 

要因:幼少期の不遇な体験と遺伝的要素

 幼児期のストレスが境界性人格障害の発症に関連している可能性が示唆されています。身体的虐待や性的虐待、ネグレクト、養育者との分離、片親の喪失などの病歴が境界性人格性障害患者にはよく認められます。
 
また、生活環境へのストレスに対して病的に反応を生じる遺伝的傾向が認められる場合があります。境界性人格障害患者の第1度親族は、一般よりこの障害を有する可能性が5倍高いと言われています。
Lancet. 2011 Jan 1;377(9759):74-84.
 

研究紹介:怒りの表情と悲しい表情

 BPD患者にさまざまな表情を見てもらい、そこからどのような感情を感じ取れたかを調査した研究があります。下の図のように、様々な表情およびその中間的な表情を用意します。
 
 
 Proc Natl Acad Sci U S A. 2002 Jun 25;99(13):9072-6.より
 
 これらの表情の画像をBPD患者とそうでない患者に見せて、どのような解釈が得られるか解析しました。すると、怒りの表情と悲しい表情が混在した表情から、一般の人は悲しみの表情を読み取る傾向がありましたが、幼少期に虐待を受けたBPD患者では怒りの表情と感じ取る傾向があることが分かりました。
また、BPD患者は表情認知に際して、扁桃体が過剰反応するということも別の研究で示されています。
 

治療  

 BPDの治療は薬物による治療と精神科医や臨床心理士によるカウンセリングや行動療法などがあります。BPDの薬物治療は一定の効果を認めることが知られていますが、同時に多数の問題点も抱えています。
患者自身の薬効評価と専門家の評価が一致しないことによる投与の長期化、薬物乱用や大量服用の危険性、などが懸念されています。日本のガイドラインでは薬物療法は補助的治療であり薬部の効果は一時的/部分的とされています。
では治らないのか、薬は永遠に飲み続けなければいけないのかというとそうではありません。症状すべてが一気に治るわけではありませんが、徐々に消失することが分かってきました。
BPDの症状を290人の患者を対象に10年間観察した研究では、10年間で以下のように症状が消失したと報告しています。
  
0-2年
精神病的な思考
性的逸脱
・・・
 
2-4年
薬物乱用/依存
自傷行為
操作的自殺行為
深刻なアイデンティティ障害
・・・
 
4-6年
奇妙な思考/異常な知覚経験
非妄想的な被害感
見捨てられ感
情動不安定
・・・
 
6-8年
慢性大うつ病
無力/絶望/無価値/罪悪感の慢性的な感情
慢性的不安感
孤独耐性の低さ
依存
・・・
 
8-10年
慢性的な怒り
慢性的な孤独・虚無感
・・・
Am J Psychiatry. 2007 Jun;164(6):929-35.
 
 
『性格だから治らない』というわけではありません。適切な治療で回復する疾患です。
 
 太宰治は1948年にこの世を去っています。BPDの概念が提唱されはじめ、様々な研究が開始されたのが1950-60年代であり、パーソナリティ障害の一疾患として定着したのは1970年代のことです。ガイドラインや治療法がまとめられたのはさらにその後、1980-2000年代になってからです。『人間失格』はBPDの治療・疾患理解が深まる前に描かれた作品であり、BPDが疾患として世間に理解される前に世に出版された作品ということで、そのような視点でもインパクトを与えた作品と言えるでしょう。
 
 さまざまな研究の蓄積により、多くのBPDが治療可能となってきました。しかしまだ一方で適切な薬物治療が困難であったり、治療を行う際の患者と医師の関係性自体が不安定である場合もあったりするケースもあり、まだまだ課題は多いです。
 さらなる研究の積み重ねにより、一人でも多くの方に適切な治療がなされ、回復できるようになることを祈ります。